<2.Shape & Cut(形状・カット)>
雨上がりのシロガネには澄んだ青空が広がっている。刷毛で一塗りしたような白い雲が、空の高い位置でたなびいていた。FCハウスに引き籠っていた者達も、各々外に出て晴れの空気を楽しんでいる。
庭の畑の手入れに精を出しているミナミの後ろ姿を微笑まし気に眺めながら、ロマリリスはテラスのテーブルに頬杖を突いて目を細めた。
「ねえ、ヤンサの女の子っていいと思わない?皆黒髪で、純朴な感じがして可愛いわ。奥ゆかしい子が多いのもいいわね。可愛がり甲斐があるもの」
そう言って妖艶な笑みを浮かべる彼女の前には、テーブルを挟んで座っているスフェンがいた。彼は苛立ちに頬をひくつかせていたが、ロマリリスは意にも介していない。
「……誰がそんな事聞いた。俺は連絡がつかなった間の活動報告をしろって言ってるんだが……」
「だから言ってるじゃない。ヤンサで一仕事してきたって」
ロマリリスはギルの詰まった袋をテーブルに置くと、FCに納める分だと言ってスフェンに寄越した。
「なら最初から分かりやすくそう言え!」
「短気ねえ……あ、もしかして生理かしら?」
「っ、なっ、馬鹿な事言うんじゃないっ」
「ふふ、冗談よ」
二人のやり取りは概ねこのようなものだった。通りすがりに尻を撫でられたりなど、この程度のセクハラは日常茶飯事だ。毎度スフェンが反応を示すので、ロマリリスのいい玩具になっている。
「ったく、他所でやらかすなよ……」
「大丈夫よ。ちゃんとイイ子にしてるもの」
何だかんだと言いつつも、スフェンが身内に甘いのだとロマリリスは知っていた。その隙の多さゆえ、他者につけ入られやしないか多少心配になるが、そこは彼女もあえて口にしないことにしている。もちろん、その方が面白いからだ。
そのとき、大きな影がぬっと現れ、スフェンの横に控えた。
「スフィ大丈夫?ロマリリスにセクハラされてない?」
トレーニングを終えたヴァリが見かねて飛んできたようだ。浜辺を走ってきたようで、タオルで額の汗を拭っている。
「人聞きが悪いわね。こんなに可愛がっているのに……」
ロマリリスの言葉を聞いて、スフェンの尻尾が一瞬ぼわっと膨らんだのを見たヴァリは思わず苦笑した。
「……ともかく、ロマリリスはあとで報告書を提出するように。細かい事はそこで見る」
「出会った可愛い子の話も書いておくわね」
「グランドカンパニーにも提出するんだぞ……真面目に書けよ?」
「はいはい、分かったわ」
渡された用紙をひらりと翻しながら、ロマリリスはFCハウスの中に消えて行った。顔にでかでかと「不安」の文字を浮かべたスフェンがその背中を見送る。
「お前何とかしろよ。付き合い長いんだろ」
「いやあ、あれはオレじゃどうにもできないかな……」
乾いた笑いを漏らすヴァリに、スフェンはがっくりと肩を落とした。
しばらくヴァリが涼むのに付き合って二人で雑談していると、庭に面した海を一隻の小舟が渡っていくのが見えた。舟には笠と蓑を纏った人物が乗っている。そのまま桟橋に接岸するかと思われたが、舟はぎいぎい音を立てながら家の前の砂浜に乗り上げた。
「あれ、ウナちゃんじゃないですか?」
抜いた雑草を片手に立ち上がったミナミが声を上げる。スフェンもシェードの下から明るい浜へ視線を移して見れば、確かに釣り道具を抱えたウナギだった。そういえば、彼女は紅玉海のヌシを追いかけて、半月ばかり前から家を空けたきりである。
「ただいま~」
ウナギは疲れたような足取りで家の門を潜ると、釣竿や餌の詰まった荷物を下ろして、安堵したように息を吐いた。
「もうね、一生釣れないかと思った。バラすし、そもそも餌に食いつかないし……この世に存在してないのかなって疑っちゃったよ」
「おかえりなさい、ウナちゃん。そんなふうに言うってことは、釣れた?」
「うん!大勝利!」
ウナギは元気よくブイサインをして見せたあと、笠や蓑を外して激闘の思い出をミナミに身振り手振りを交えて聞かせた。紅玉海の近隣にある民家に頼んで屋根を借り、そこで寝泊まりをしていたらしい。あとは雷鳴轟く海でひたすらヌシを探して小舟を揺らしていたのだという。
釣りに集中するあまりその他の事は後回しだったようで、尻尾の毛並みや髪は最後に見たときよりもずっとボロボロになっていた。
ミコッテにとって毛並みとは、健康さや生活の豊かさのバロメーターである。通常の身だしなみ以上に重要視される部分であり、年頃の女性なら意識して手入れをするものだ。アウラ族が角を磨くのと同じように、毛並みは美しく保つものである。少なくとも、スフェンの認識はそうだった。特に尻尾の毛並みが悪いのは、寝癖がついたのをそのままにしているような感覚に近い。
ウナギはスフェンの同族であるのだが、どうにも彼女はそういった意識というか、文化に疎い傾向がある。それを不思議に思いながら、スフェンはボサボサに伸びた尻尾や髪について指摘した。
「伸びっぱなしだな。ちょうどいいから後で床屋にでも行ってきたらどうだ」
すると、ウナギはギクリと背を丸めた。
「えっ、いいよ、まだ……あと一か月くらいは粘れる……」
「はあ?伸ばしてるわけでもないだろ。整えるくらいしてきたらどうだ」
ウナギは妙に口ごもりながら指先をいじいじと触れ合わせると、聞こえるか聞こえないかくらいの声量で呟いた。
「髪切りに行くお金ない……」
それを聞いてスフェンは顔を顰める。
「給料渡してるのにそんなはずないだろ」
「う~~~~新しい釣竿とルアーいっぱい買っちゃったの!だからお金ないっ!」
「なっ、生活費まで使い込むなってあれほど……!」
常日頃から趣味に金を使うのもほどほどに、と耳にタコができるほど注意を受けていたので、スフェンから怒られるのをウナギは当然予想していたようだ。お説教が始まると、覚悟を決めた武士のような表情で早々にその場へ正座し始めた。
「ウナちゃん……慣れすぎだよ……」
「流石……スフィから怒られ続けてるだけあって面構えが違う……」
二人のやり取りを横で見ていたミナミとヴァリは、身の振り方がいっそ清々しい彼女の振る舞いに謎の感心を覚えた。
「はあ…………しょうがないな。ウナギ、とりあえずシャワー浴びて髪乾かしてこい。庭で髪切ってやるから」
「え⁉すーさん髪切れるの⁉」
「ああ。妹の髪切ってたから、それなりには」
ウナギが目を丸くして聞けば、スフェンは昔から故郷の妹達の髪を切ってやっていたと語った。
「やったぁーーー!お風呂入ってすぐ戻ってくるね!」
「少し切り揃えるだけだからな。ったく、ちゃんと乾かせよ」
項垂れていたウナギだったが、スフェンの許しが出ると跳ねるように家の扉を開けて風呂場へ駆けて行った。
「はあ~~~~…………」
ウナギの姿が完全に見えなくなると、スフェンはロマリリスの時とはまた別の意味でがっくりと肩を落として溜め息を吐く。そのまま腕組みして難しい顔で唸っているので、ミナミは心配そうにウナギの消えた方向とスフェンを見比べていたが、ヴァリにはその心の内が手に取るように分かった。
(あれは「また甘やかしてしまった……」って顔だな……)
スフェンは芝生の上に丸椅子を置くと、そこにウナギを座らせた。スフェンとウナギの淡い髪が、燦々と降り注ぐ秋の日差しに照らされてきらきらと光っている。
彼女の首に長い布を巻いて被せ、ブラシで髪を梳かしながらスフェンは毛足の乱れた尻尾を見やった。
「尻尾はやらないからな。自分で整えるか、ミナミかハンナに頼んでやってもらえ」
「えー、なんでー」
不平そうな声でウナギが後ろを向こうとするので、スフェンは動くなと言って顔を前に固定させた。
「家族でもない男に触らせる場所じゃない。前にも言っただろ」
尻尾は兎角デリケートな場所だった。神経も通っているので、引っ張ったり踏まれたりすれば当然痛みを感じる。また、尻尾の付け根は敏感な部分であり、基本的に他人には触らせないのが当たり前だ。特に、異性が不用意に触れるべき場所ではなかった。
「すーさんは家族みたいなものだからオッケーだよ」
「全然オッケーじゃない。ほら、ちゃんと前向け」
散髪用の鋏がしゃきしゃきと音を立てる。傷んだ毛先を落としつつ、全体を整えるように切り揃えていった。目にかかり気味だった前髪を眉が隠れる程度に切ると、ウナギの頬や鼻先についた薄色の髪の毛をスフェンはふう、と吹き払う。
すると、作業をする手元を覆うように、大きな影が周りを行ったり来たりし始めた。
「おい……邪魔だぞ、ヴァリ。うろうろすんな」
「……ねえ、次オレも切って」
ヴァリはじーっとスフェンと鋏を見つめると、自分の頭を指してお願いと彼の裾を引っ張った。
「はあ?お前ついこの間切りに行ったばかりだろ」
「そうだけどさ……そうじゃなくて……」
子供のようなに駄々をこねるヴァリに、スフェンはやれやれと首を横に振る。
「気が散るからあっち行け」
犬でも追っ払うような仕草に、ヴァリがしょぼくれた様子でテラスに戻ってゆくと、タイミングを見計らったように小さなエーテルの淀みが家の前に現れる。収束していく淀みから軽やかに地面へと着地したのは、つばの広い帽子を被ったハンナだった。
「あ~、うなちゃん、すーさんに髪切ってもらってる!いいなあ~」
庭で散髪をしているのを見るや否や、ハンナはニコニコと笑みを浮かべて駆け寄って来る。
「おかえり。どこ行ってたんだ?」
彼女もまたここのところ姿が見えなかった一人である。スフェンが尋ねると、ハンナはハッと思い出したような表情で自らの鞄を漁った。少しよれた紙を二枚取り出すと、褒めてほしい子犬のような瞳で皆の前に並べて見せる。
「はい!お仕事もらってきたよ!」
*
アバラシア山脈の西方、低地ドラヴァニア。清浄な水を湛えるサリャク河の恵みにより、豊かな自然環境を形成しているその地域には、かつて『シャーレアン』の植民都市が存在していた。様々な分野に精通する学士達が日夜知識の集積に勤しんでいた場所だったが、十五年前のある日、彼らの姿は一夜にして魔法のように消えてしまう。
その原因は、ガレマール帝国のエオルゼア侵攻にあった。戦乱の火の粉が降りかかるのを危惧した争いを嫌うシャーレアンの人々は、五年の歳月をかけて入念な準備をし、後に「大撤収」と呼称される全住民の退去を敢行。もぬけの殻となった植民都市は、それ以来廃墟となって久しい。多くの施設や建物が廃棄され、手付かずのまま今も残されている。
一方で、現在はゴブリン族と人が手を取り合い、セノタフ大碑石を主門とした新興集落である「イディルシャイア」が築かれ、少しずつ冒険者や商人の出入りが増え始めていた。
メネフィアの聖人に連なる聖モシャーヌの名を冠した「聖モシャーヌ植物園」も、在りし日の学術都市を偲ばせる施設の一つだ。スフェンとエドヴァルド、ヴァリ、ソバの四人は、イディルシャイアにおいて人間側の顔役であるミッドナイト・デューに連れられ、再びその門前に並んでいた。
「悪いね、厄介事を頼んで」
すまなさそうな表情で、ミッドナイト・デューは蔦の絡まる植物園の入り口を見やった。
「構わない。シャーレアンの人間に多少なりとも恩が売れるなら、安いもんだ」
「そう言ってもらえると、あたしも気が楽だよ」
スフェンが泰然と答えると、彼女は大柄な体を揺らして一笑した。
「依頼人の賢人が寄越してきた資料だ。目当てのコロポックルの絵姿もある」
ミッドナイト・デューが手渡した羊皮紙を開くと、コロポックルのスケッチとともに、依頼人の賢人が書いたと思しき「思いのたけ」がずらずらと書いてある。しかし文章の冗長さに読み込む気力を失ったスフェンは、真顔のままヴァリへとそれをスライドさせた。
「えっと…………、「大撤収のとき置き去りにしてしまった研究対象のコロポックルの事が気がかりで、夜も満足に眠れません。赤い花が咲いている特別な個体で、北洋に連れて行きたかったのですが、大撤収の際には叶いませんでした。植物園の中で今も生息していると思います。あの子を見つけて連れ帰ってください。報酬は弾みます」……要約するとこんなとこかな?」
他にも長々と様々な言葉が連なっていたが、ヴァリはスフェンの聞きたそうな部分だけ抜き出すと、彼に資料を返した。
廃棄された植物園の中は、草木網の魔物の巣となっている。依頼人は単独での捜索を諦め、イディルシャイアの人間を頼ってきたようだ。
「依頼人に泣きつかれちまってね、仕方なく一応依頼を受けたのさ。シャーレアンの連中が残したもんで稼がせてもらってる手前もあって、無下にできなくてね」
ただし彼女らトレジャーハンターは、あくまで宝を探すのが本業である。戦闘に秀でた者もいなくはないが、探索をしてくれる腕利きの冒険者を雇う方が効率もよかった。今回ハンナが持ち帰った依頼の片方が、このコロポックル探しだ。
双子の実父であるフルシュノの発言により、シャーレアンが終末について何らかの情報を持っていると推測した暁は、北洋へと渡るために渡航の手続き中である。それにスフェン達も同行する手筈だった。そして、この依頼を解決する事でシャーレアン入国後の立ち回りが有利になることをスフェンは期待している。
「スフェンとこの嬢ちゃんが受けてくれて助かったよ。深部は特に危険だから、なかなか引き受けてくれる奴がいなくてな」
「前に一度入ったこともあるし、楽勝でしょ」
後ろで話を聞いていたエドヴァルドが、余裕綽々で胸を張って拳を示す。
「その辺の魔物なんて敵じゃない!」
「フラグ建設株式会社ぁ……」
今日も快活なモンクの高らかな宣言を聞いて、横にいたソバがぼそりと呟いた。
*
聖モシャーヌ植物園の中はいくつかのエリアに分かれている。入口付近は熱帯エリアで、青々とした草木や巨大な植物が多数群生しており、湿気の多い区域だ。
四人は正面口から内部へと入り、辺りを見回しながら奥へと進んで行く。蓮池で何体かの小さなコロポックルを見かけたが、目当ての個体ではなかった。
「お、エド君見て見て、ドラヴァニアオオクワガタ」
「でっか!顎が強そうで格好いいな~」
ソバが木の幹にしがみつく昆虫を見つけると、エドヴァルドも嬉々として近寄り、二人の足が完全に止まる。
「お前ら飽きるのが早すぎだろ。ちゃっちゃと見つけて帰るぞ」
先行していたスフェンが振り向いて呼びかけると、盛り上っていた二人は昆虫を捕まえるかどうかでやや揉めたあと、渋々その後に従った。
植物園の中心部を貫くような大木が、天を目指して聳えている。その虚から空洞になっている内部を伝って深部へと降りると地下研究施設が姿を見せるのだが、人の手が入らなくなって久しいそこは、今も伸び続ける木々の根に破壊されて荒廃していた。水上に架けられた橋も崩れ、ところどころが泥に侵食されている。
「うわ……ここ完全に水溜まりじゃん」
進む先の道の一部が茶色い泥水に浸かっており、エドヴァルドが顔を顰めて足を止める。
「ハンナ達じゃなくてオレ達が担当でよかったね」
その横をヴァリが気にした風もなく進んで行く。彼は溶かしたミルクチョコレートのような色の泥水が跳ねるのを気にもせず、濁った水溜まりを渡った。ちなみに、女性陣らはハンナの持ってきたもう片方の依頼、逃げた庄屋の猫探しをクガネでしている。
「見た目より全然深くないよ。足首よりちょっと上くらい」
ヴァリがそう言って振り返ると、後ろで蹈鞴を踏んでいたエドヴァルド達も渋々泥の中に足を踏み入れた。
ソバは自分とは対極に全身真っ白なスフェンを横目で見やってから、ざぶざぶと水溜まりを進む。潔癖とまではいかないが、綺麗好きの彼には堪えそうだと思った。
「スフィ」
最後尾にいたスフェンが心底嫌そうにブーツの片足を上げたところに、ヴァリが手を差し出した。
「抱き上げて向こうまで運んであげようか?」
ニッコリと微笑むヴァリだったが、スフェンより先に他の二人から反応が上がった。
「贔屓反対!」
「リア充爆散しろ!」
「俺達も運べー!」
「エドは無理だよ……。ソバも何だかんだ服の下に仕込んでるもの多くて重いし」
後方からの非難を軽く受け流すと、ヴァリはスフェンの手を取った。しかし、白手袋に包まれたヴァリより一回り小さな手は、するりと彼の掌から抜け出していく。
「……いい。自分で渡る」
スフェンは数歩後ろに下がると、助走をつけて勢いよく走り、水溜まりの手前で大きく跳んだ。ふわりと跳躍し、賢具の力を推進力に変えて距離を稼ぐと、軽やかに乾いた地面へと着地する。その瞬間、バランスを取るようにふわふわとした長い尻尾がくるんっとしなった。
「……よし、行くぞ」
エドヴァルド達はヴァリの肩を軽く叩くと、気を取り直すように歩み始めたスフェンの後を追った。
研究窟の奥は環境制御施設が広がっており、巨大な浄化槽が今も一部稼働していた。
「ここにもいないか……」
泥に塗れた何体かの水棲生物を蹴散らすも、コロポックルの姿はなかった。浄化槽に沿ってさらに奥へと進むしかないようだ。
水が抜かれた水路の壁には、緑の巻貝が等間隔に描かれている。シャーレアンの国旗に描かれたそれだ。その昔、貝は永遠の時を生きる存在だと信じられていた。そして、巻貝は知神サリャクが河に流し込んだ「知識の水」を永遠に溜め込む存在として、いつしか「知識の蓄積」の象徴となっていた。故にシャーレアンの人々は、自らの国旗に巻貝の意匠を用いたのである。
そのまま地下を見て回ったが、大した収穫はなかった。肥沃な泥で活性化した草木網の魔物や、凶暴化した水棲生物ばかりが行く手を阻んだ。だが、それを打ち倒しながら方々隈なく捜索したが、結局コロポックルの影すら掴めぬまま地上の熱帯展示室まで戻って来てしまった。
「はあ〜〜、駄目だな。もしかしてもう枯れてるんじゃないか?」
「可能性はあるな。ここも放棄されて五年だ。そうなっていてもおかしくはない」
エドヴァルドが大きく溜め息を吐くと、それが合図だったように各々休憩の体勢に入って座り込んだ。一方で、ソバだけが羽ばたく蝶を追いかけて草むらをかき分けて行く。
「あんまり遠く行くなよ」
「ん〜」
スフェンが黒い背中に声をかけると、聞いているのかいないのか判然としない返事が返ってきた。
「赤い花をつけたコロポックルね。……普通のコロポックルに赤い花刺して連れてったら駄目かな?」
「駄目に決まってるだろ」
「駄目か〜」
半分本気そうなエドヴァルドの冗談にヴァリは苦笑したが、スフェンは存在感のある眉を跳ね上げた。
「他人が困るような嘘は吐くべきじゃない」
「分かってるよ。じょーだん」
天窓から差し込む光の加減から、時刻は昼過ぎに差し掛かっていることが分かった。陽が落ちたモシャーヌの中は発光する虫や植物の幻想的な光で包まれるのだが、薄暗いことに変わりはなく、捜索の難易度が格段に上がる。そのため明るいうちに見つけてしまいたいのだが、広大な園内をこれ以上無策で歩き回るのは効率的とは言えなかった。
「何か手がかりは……」
スフェンが手で口元を覆って考え込む。すると、ソバのいなくなった方向から小さな爆発音が聞こえた。
「見に行こう!」
いち早く立ち上がったのはヴァリだった。大剣を背負い直すと、二人の先頭に立って草むらをかき分けて進んで行く。彼の作った道の後ろに続くと、ぽつんと立っているソバがいて、すぐに音の出どころを見つけた。
「今のソバでしょ……」
「うん」
ソバが立っている草むらの目の前が小さく焼け焦げて更地になっているのを確認して、ヴァリは何をしているんだと首を傾げた。
「変なもん見つけた」
表情の見えないソバがスッと指をさす。確かに、彼が焼き払ったおかげで一帯を覆っていた葉がなくなり、その奥に太い蔓に覆われた壁が姿を現していた。
「何だこれ……?」
スフェンが近寄ってその表面を撫でる。蔓は一本一本がルガディンの腕のように太く、乾燥していて固い。靴底で蹴るがびくともしなかった。すると、壁の向こうに空間があるのが蹴った感触で伝わってくる。スフェンは振り返ると、エドヴァルドにアイコンタクトを送った。
「エド、いけるか?」
「オーケー!思いっきりいくから離れてて」
三人が後ろから見守る中、エドヴァルドが構えて闘気を練り上げる。重心をしっかりと地に落とし、拳に込めた力を解き放つように突き出すと、衝撃とともに蔓の壁の真ん中が砕け散った。木片が飛び散る中、少し離れた場所でソバがパチパチと手を打つ。
スフェンが穴から覗き込むと、無明の暗闇が口を開けていた。次いで土の匂いが鼻先を掠めていく。
「洞窟……?暗いな……」
エドヴァルドが開けた穴を無理矢理広げて中に入ると、巨大なトンネルのような空洞が闇の向こうに続いていた。ソバが杖を掲げると、杖先に淡い光が灯り内部を照らし出す。道は緩やかに傾斜しており、先の見えない下り坂となっていた。
「……行ってみよう」
ヴァリの先導で真っ暗な中を下って行く。トンネルは男性四人が横並びになっても余裕なくらい幅があり、エレゼンが飛び跳ねても頭がつかないくらい天井が高い。壁を触ると、抉られたようなボコボコとした手触りが伝わってくる。
「すごく嫌な予感がする」
「奇遇だね。オレも」
カツン、カツン、と杖を突きながら歩くソバの呟きにヴァリが同意すると、横を歩いていたスフェンの獣耳がぴくりと反応した。
「何か聞こえないか?」
「……地鳴り?」
エドヴァルドも耳を澄ませると、確かに低く何かが蠢めくような音が道の先から聞こえてきた。
「確かめよう」
四人は頷き合うと、大きなカーブを曲がり、坂を下りて奥を目指した。
最後尾を歩くエドヴァルドの後ろ姿が、完全に曲がり角の向こうに消えていく。やがて光源が遠ざかって歩いて来た道が再び闇に染まる頃、凄まじい地響きとともに必死の形相の四人が逃げ戻って来た。
「なんなんだあれ⁉」
ソバの両足首をしっかりと握り、彼を肩車して走るエドヴァルドが叫ぶ。背後には大きな口を開けた荒ぶる巨体が迫っていた。苔むして丸々とした体に、短い手足と鞭のような自在に動く蔓がついた植物系の魔物が、四人を食らわんばかりの勢いで追ってくる。
「この前にいたヌルチューの仲間⁉」
スフェンを俵抱きにして走るヴァリも叫ぶが、魔物の咆哮に半ば掻き消された。
「この穴あいつの巣か⁉あ、ちょっと、人の上で魔紋出すな!」
「〜〜〜〜〜ファイジャ!」
エドヴァルドの制止を無視して放った火球が魔物に命中すると、体に火のついた相手は苦しそうに暴れて足を止めた。スフェンも賢具から光線を撃ち出して追い打ちをかけると、魔物はますます唸りを上げる。
「よし、このまま外に出ろ!」
スフェンの合図で入口目掛けて転がり出るように走り込むと、ソーサラー陣を運んでいた二人は、彼らを下ろしてからぜえぜえと荒い呼吸を繰り返した。
「ぜえ、はあ…………スフィ?どうしたの?」
ヴァリが息を整えていると、隣に立ったスフェンが眉根を寄せて考え込んでいた。
「あのヌルチュー……頭の花が赤かった」
「「「……!」」」
「以前植物園で出くわしたヌルチューの花は黄色だった。あれほど鮮やかな赤じゃない」
スフェンは依頼主から預かった資料を取り出して広げる。先程のヌルチューの頭に咲いていた真っ赤な花と同じ花が、スケッチに描かれたコロポックルにも咲いていた。
「……恐らくだが、植物園の環境変化に伴って、コロポックルの形態が変わった……いや、成長したんじゃないかと思う。エウレカでも、環境エーテルに適応して魔物が姿を変える事例があっただろ」
「マジか……」
絶句する三人に対して、スフェンは重々しく問うた。
「あれ、連れていけると思うか……?」
もちろん、これには三人とも首を横に振って答える。
「事実をありのままに話すしかないんじゃないかな」
それが妥協案だろう。よしんば捕まえられたとして、あの巨体を船に積み込むのは骨が折れそうだ。シャーレアンに着く前に、船ごと海に沈んでしまいそうだった。
「……とりあえず、大人しくしてもらう?」
目深に被った帽子の下から僅かに覗いた目が、音のする方向を向いた。次いで四人が出てきた穴からやや焦げたヌルチューが飛び出してくる。怒っているのか、それとも錯乱しているのか。相手は興奮した雄叫びを上げらながらがむしゃらに突進してきた。
咄嗟にエドヴァルドが素早く横に避けると、エーテルの流れを捉えたソバが引き寄せられるように彼の元まで移動する。
「便利だなそれ……」
「エド君、サンキュ」
黒魔道士が呑気に言ってのける。エドヴァルドは自分が貨物輸送車にでもなった気分だった。
ヴァリとスフェンは突進には巻き込まれなかったが、滅茶苦茶に振り回されている蔓が流れ弾の如く二人を襲う。
「スフィっ、怪我ない?」
「く、問題ない」
ヴァリがスフェンの前に躍り出ると、身の丈ほどある大剣を盾に、蔓の攻撃を防いだ。続く一撃も、スフェンの賢具で築いた障壁に阻まれ事なきを得る。
「興奮してるな……っしゃ、いっちょ殴って大人しくさせるかぁ!」
「賛成」
エドヴァルドが目にも止まらぬ連撃を繰り出し、ヌルチューに殴打を叩き込む。勢いに押されて、緑の小山が後ろによろめいた。後方で魔法を詠唱していたソバは、相手が怯んだ隙を逃さず、魔物に向かって闇色の魔弾を炸裂させる。
歴戦の冒険者達の猛攻に、ヌルチューは当初の勢いを失っていく。しかし、もう一息だというところまで追いつめると、急に大きな体がブルブルと震え始めた。
「な、何だ⁉」
驚きを隠せないエドヴァルドの前で、ヌルチューはあっという間に枯れていき、あれほど巨大だった体が半分くらいのサイズに縮んでいた。頭の赤い花もどんどん萎んでいく。体を覆う苔がくすんでさらさらと剥がれ落ち、数分も立たないうちに、小さく地面を揺らして倒れ込んだ。
「……お、俺の中にこんな力が……」
「ゼノグロシーを信じる者は救われる……」
自らの武器を掲げて悦に浸る攻撃陣に対して、スフェンは額を押さえてやれやれと溜め息を吐いた。
「何バカみたいなこと言ってるんだ。どう見ても不自然だろ。調べるぞ」
「また起き上がるかもしれない。慎重にね」
案じるヴァリに頷いて、スフェンはそろりと倒れたヌルチューに近づいていく。試しに触れてみたが、完全に事切れているようで、何の反応もなかった。
「……植物の中には、枯れる直前になって、急にたくさん実をつけたり、花を咲かせたりする個体があると聞いたことがある。もしかしたらこいつもそのタイプだったのかもしれないな。やたら興奮して元気だったわけだし」
「ってことはこいつが枯れたのは寿命か……なんだかなぁ」
エドヴァルドは消化不良気味のようで、腕を組んで嘆息する。実際、探していた対象が目の前で枯れ果ててしまっては、スフェンも後味が悪かった。
「仕方ない……依頼人には、起こった事をありのまま報告するしかないな」
顔も知らぬシャーレアンの研究者の悲嘆に暮れる様が、ありありと頭に思い浮かんだ。
「……ん?」
するとその時、スフェンのブーツに何かが当たった。薄暗くなり始めた足元を見やれば、そこには手に乗せられる程小さな緑色のコロポックルがいて、もぞもぞと彼の足に纏わりついている。
「お前、どこから来たんだ?」
丸い体の部分を両手で包んで持ち上げえると、そのコロポックルには攻撃性もないのか、大人しくスフェンの手に収まった。
「スフィ、こっちにも」
ヴァリが指差す方向を確認すると、倒れたヌルチューの周りに何体かのコロポックルが元気に跳ねまわっている。
「活きがいい。可愛い」
捕まえたコロポックルをソバがつつくと、機嫌良さそうに緑色の体を震わせている。
「これはもしやヌルチューの子供……?」
「こいつの体から種か何かが出て発芽したとか……?」
「エオルゼアは今日も不思議がいっぱいだなあ」
スフェン達三人が顔を突き合わせて首を捻っていると、ヴァリが二、三体のコロポックルを抱えた。
「この子達を連れ帰ろう。もしかしたら、赤い花をつける個体に育つかもしれない。依頼人には事情を説明して、それで納得してもらえないかな」
「そうだな……」
赤い花をつけていたコロポックル、もといヌルチューは枯れてしまった。本来の依頼を果たすことはできない。
一応採取した枯れ花の一部と、新しく生まれたと思しきコロポックルの幼体を引き渡して、今回は任務完了とする整理とした。
「それじゃ、ヴァリの持ってるコロポックルだけ連れて帰るか」
全てを連れ帰る必要もあるまいと、残りのコロポックルを園内に放って四人は帰還することにした。
取りあえず、骨折り損にならずに済んだと安堵していると、またもスフェンの足元にコロポックルがぶつかって来る。そのままトコトコと四人の後をついて来るので、皆の足は止まってしまう。
「ついてきちゃうな……。どうする、スフィ?こんなに連れて行く必要はないと思うけど……」
「う……」
色の違う三対の眼差しがスフェンに集中し、彼の決定を仰ぐ。スフェンは仲間と足元で跳ねるコロポックル達を見比べ、固い表情を浮かべた。
(こんなに連れて帰るのは手間だし、シャーレアンに送るにしたって、それまでの世話が大変に……)
淡い藤色の瞳と白い尻尾が葛藤に揺れている。その間も、コロポックル達は懇願するようにスフェンの足に擦り寄ってきた。
別に似ているというわけではなかったが、なんとなく三人娘を拾ったときの記憶がスフェンの脳裏を過った。
「ぜ、全部連れて帰る……」
ようやく出した答えは、絞り出すような声で告げられた。
「うん。皆で帰ろうか」
ヴァリが心得たように他のコロポックルを腕に乗せる。エドヴァルドとソバは、そうなるだろうと思った、とでも言いたげに肩を竦めると、両手にたくさんのコロポックルを抱えて植物園を後にしたのであった。